「百人斬り競争」をご存知ですか!?
南京戦の最中、昭和12年11/30〜12/13にかけて東京日日新聞が連載した
「百人斬り競争」という記事は、二人の少尉のどちらが先に中国兵を百人斬るか
という、いわば当時よくあった戦意高揚のための武勇伝だったのです。
二人の少尉とは、
向井敏明(むかいとしあき)少尉(歩兵第九連隊第三大隊歩兵砲小隊長)と
野田毅(のだつよし)少尉(歩兵第九連隊第三大隊副官)でした。
ところが、敗戦後の連合国によってこの新聞記事は、「南京大虐殺」を象徴する
ものと歪曲されて、非戦闘員を含む中国人に対する無差別虐殺として断罪された。
両少尉は、残虐行為の容疑者としてGHQに連行されてしまいました。
この記事は、毎日新聞の浅海一男記者によって書かれました。
向井・野田少尉は、この戦意高揚記事がまったくの創作であり、
ただ単に名前を貸したに過ぎなかった事を繰り返し主張したのですが。
しかし、記者や関係者の証人喚問が認められる事はありませんでした。
昭和22年10月に南京に護送された二人の少尉は、南京軍事裁判で死刑判決を
受けました。東京日日新聞の「百人斬り競争」の記事のみを証拠として、
たった一度の三時間の審理によって。
昭和23年1月28日の雪の降る南京郊外の雨花台で、
向井少尉・野田少尉はBC級戦犯として銃殺刑に処せられました。
「中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」
平成15年4月28日、「百人斬り競争名誉毀損訴訟」が提訴されました。
原告は、野田少尉の妹さん・野田マサさん、向井少尉の長女・エミコ・クーパーさんと
次女の向井千恵子さん。
被告は、本多勝一・朝日新聞社・毎日新聞社・柏書房。
そして、弁護団の一人が、稲田朋美(いなだともみ)・現衆議院議員でした。
しかしこの訴訟は、平成18年12月22日に最高裁で上告棄却・上告受理申立却下
がなされ、3年半に及ぶ「百人斬り競争名誉毀損訴訟」は幕を閉じました。
雑誌「諸君!」に掲載されたイザヤ・ペンタゴン(山本七平)vs本多勝一の論争で、
「百人斬り競争は虚偽である。」
との決着がついていました。
平成元年、毎日新聞が発行した「昭和史全記録」には、
「この記事の百人斬りは事実無根であった。」
と新聞社自身が記事の創作性を認めました。
平成16年7月12日・東京地裁において、当時の従軍カメラマンである
佐藤振壽さんが唯一人証人として出廷。
「百人斬り競争を、100%信じていない。」
と証言されました。
しかし、高裁判決は敗訴。
「同記事の『百人斬り』の戦闘戦果は
甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。」
「本件日日記事の『百人斬り競争』を新聞記者の創作記事であり、
全くの虚偽であると認めることはできない。」
として、冤罪に処せられた二人の少尉の名誉や遺族の心痛に鑑みる事なく、
大手マスメディアを勝訴に導く結果に。
今も、南京大屠殺記念館には、両少尉の写真が等身大で展示されています。
顔はカッターで傷つけられて、晒し者になっています。
「南京大虐殺」の象徴として。中国国民の反日感情を煽るものとして。
ご遺族の心持ちとは、如何なものでしょうか。
平成14年には、向井千恵子さんが「百人斬り競争が虚偽である」事のアピールを
するため中国へ行く際、突如ビザが降りなくなりました。
そのため、亡き父上の慰霊をすることも叶わなくなったのです。
尊い命を日中両国への捨て石とされた、向井少尉・野田少尉。
お二人の無念やご遺族のご心痛、そして何よりも日本の名誉のために、
「南京の真実」を伝えなくてはなりません。
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映画『南京の真実』の製作発表は、2007年1/24に日本文化チャンネル桜によって行なわれました。 昨年は南京事件70周年にあたり、「南京大虐殺」をテーマとする反日映画が12本作られていると言われています。 当blog(ブログ)では、you tube(ユーチューブ)動画も交えながら真相をご紹介します。