映画『南京の真実』の製作発表は、2007年1/24に日本文化チャンネル桜によって行なわれました。                                     昨年は南京事件70周年にあたり、「南京大虐殺」をテーマとする反日映画が12本作られていると言われています。                               当blog(ブログ)では、you tube(ユーチューブ)動画も交えながら真相をご紹介します。

「南京大虐殺の真実」入門書はこれ!!

「マンガで読む昭和史 『南京大虐殺』の真実」が、2007年12/28に出版されました。
    第一部 「南京大虐殺」の真実
    第ニ部 「百人斬り」報道を斬る
    第三部  チベットの悲劇
これら三部から構成されている本書は、祖父達の南京攻略戦を皆様に正しく伝えたいという
強い思いから世に出されました。

著者は、昭和53年生まれの畠 奈津子(はたけなつこ)さん。
共著の亜津子(あつこ)さんとは、双子の姉妹です。


      

 
   南 京 大 虐 殺 !?


日中戦争の際、日本軍が南京で市民等30万人を虐殺したと世界中で言われていますが。
果たして、南京大虐殺の真相はどうだったのでしょうか。

昭和12年12月13日、当時中華民国の首都だった南京を日本軍が陥落せしめ、6週間に亘って
占領統治した。
この間に軍の行なった残虐非道な市民虐殺は、30万人に及ぶとされました。

     丸腰の市民をありとあらゆる方法で惨殺。
     南京を火の海にし、略奪の限りを尽くす。
     又、占領一ヶ月間に、南京の女性達を次々に強姦。

人類史上類を見ない程の大虐殺が、日本軍によって行なわれたと。
南京攻略戦の司令官であった松井石根大将は、殺人鬼の汚名を着せられました。

大東亜戦争終結後のGHQによる極東軍事裁判(東京裁判)において、
松井石根大将(まついいわねたいしょう)は、
  「平和に対する罪」「人道に対する罪」に問われて、
昭和23年12月、A級戦犯として絞首刑に処せられました。


      


日本が中国に出兵したのは、明治33年の義和団事件に端を発しています。
中国を侵略するためではなく、他の10カ国同様に自国民を守るためでした。
そして後の盧溝橋事件を契機に、毛沢東(もうたくとう)の策謀に乗せられた日本は、
中国国民党との戦いに引きずりこまれ中国を南下し、首都・南京へと至りました。

国民党の蒋介石(しょうかいせき)は、明治40年から日本の陸軍士官学校に留学していました。
その時、松井石根大将とは昵懇の間柄であったそう。
共に日中和平の考えを持っていた二人でしたが、蒋介石は毛沢東の脅しに屈する事となり、
奇しくも戦う関係となりました。

南京城を包囲した日本軍は、南京防衛軍に対し空から降伏勧告文を撒きました。
無益な戦闘を避けるためでした。
しかし、中国軍は降伏せず、昭和12年12月10日南京城への総攻撃を開始。
この時、南京の一般市民の避難場所として、「安全区」という非武装中立地帯がジョン・ラーベら
15人の外国人によって作られていました。
ところが、この「安全区」は南京城の中心で、境界もありませんでした。
日本軍は、「安全区」に攻撃もせず、日本兵の出入りも厳しく禁止した。
南京市民の安全を守った訳です。

日本軍が南京を占領した時、辺りには軍服・ヘルメットが脱ぎ捨ててあった。
「安全区」に、数千人の南京防衛軍が便衣兵として紛れ込んだのです。
便衣兵とは、軍服を脱いで一般人になりすまし武器で不意打ちをするゲリラの事です。
国際法上、便衣兵は正規の兵士とは認められていませんでした。
が、日本軍は彼らを捕虜として扱った。


日本兵の態度は、礼儀正しいものだったのです!

   これが真実、南京入城だ!

      


  これは昭和12年12月17日の南京入城の際の真実の映像です。
  公私共に厳格で大変人情の厚かった松井石根大将はじめ、
  世界一厳しい軍律の中の兵隊さん達。
  私たちはこういう祖先を持ち誇りに思う!
        (jeffrojeffroさん投稿の、You Tube動画の文章を抜粋しました。)


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